博士といっしょにたんぽぽ咲くあぜ道を行く。あてどない旅なのだそうだ。
もうかれこれ、二十分くらい黙々と歩いていた。

 普通、いい天気ですねとか、かれんな花が咲いていますよとか、花粉症
だいじょうぶですかとかなんとか、会話をするのが適当なのに、それがない。
気づまりというわけではないが、少しばかりひまなのでそう思うのだ。

 久しぶりにむきだしの大地ばかりの道を歩く。いつもは、家と学校を行き来
するけれども、くつの裏が土を踏みしめることも、雑草を踏みしめることもない。
ざくざく、かさかさ、さわさわ、耳なれない音がきこえてくる。


 博士は、博士と呼んでいるけれど、博士ではない。学校で学級委員長をつと
めていたほど頭がいいし、メガネをかけているし、博士と呼ぶにふさわしいので、
僕が勝手にそう呼んでいる。数式がとくべつ好きというわけではない。

 博士はちがう学校からやってきた。先生に連れられて教室に来たとき、教
室がざわざわとみんな落ち着かなかった。しかし、勉強が好きですと、とんちん
かんな発言に静まりかえってしまったのだ。おそらく、そこは、テニスが好き
です、読書が好きですなどと答えるのがベターだと思う。だけど、博士はそうし
なかった。

 逆に、僕は珍しいもの好きの血がどくどくと駆けめぐったのだから、よかった
のかもしれない。

 ファーストコンタクトをとろうとした僕が、

 「勉強が好きなんだ? じゃあ、頭がいいの?」

 と無難な切り出しをすると、

 「君は頭が悪そうで趣味が悪そうで服装も乱れているなあ」

 との答えが返ってきた。

 博士はどうやらそのとき緊張をした自分自身にいらだっていたそうだ。後か
ら、悪かったと謝罪を受けたが、なかなか強烈な自己主張をする人だと思った。

 それなりにファーストコンタクトに失敗していた僕だが、幸運にもどうにかこう
にか友だちとして接することができるようになった。ただ、ちょっと偏屈な面が
あったので、手広く人付き合いをしなかった。

その分、僕が独占できたのだ。



 その博士と、ひょんなことから、あてどない旅をすることになってしまった。後悔
しているわけではないのだが、やはり後先考えず博士に付いてきてから、そうい
う表現になるのだ。

 「ちょっと、僕とあてどない旅をしないかい? 僕は、ともに道行く人を探している
のだが、ちょうどひまそうにしているのが君しか思い浮かばなくてね。優先すべき
事柄がないのだったら、少し付き合ってほしいのだが、どうだろうか?」

 という誘い文句にのるほうものるほうだろう。少々、馬鹿にされている気もしなくは
なかったが、気弱さが見え隠れする物言いに結局はほだされてしまったのだ。博士
の婉曲的に断るのは許さないという物言いは、ずいぶんといじましいと思える。



 電車に乗って知らない町にやってきた。そして、ずんずんと山に向かって歩き
出し、あぜ道を通り、けもの道まで行こうかとする勢いだ。

 ひらひらと蝶が漂っていたり、ひばりがさえずったりしている。本当に風光明媚な
土地だ。汗が少し出てきてもおかしくない日だった。

 「休憩が、したいな」

 と僕が素直に申し出ると、

 「もう少ししたら、あてどない旅の目的地につくから、我慢してほしい」

 と答える。

 久しぶりの会話に僕が思いつくまま述べる。

 「そんなにでかいリュックサックを持って重くはないのかい?」

 博士の方がひ弱さそうに見えるのになあ。

 「君と違って、体育の時間をおざなりに過ごしはしないから」

 皮肉を言葉にまじえるところを見ると、実際に元気なようだ。表面だけの
強がりだけではないらしい。その証拠に、足取りはしっかりとしている。羨ま
しい。博士のくせにとも思う。

 喋りながら歩くのは、疲れるので、僕はまた黙った。


 ぽんと開けたところに出た。休耕地が放っておかれて、草がぼうぼう生えた
ようなところだ。小学生の三十人くらいなら全力で遊べそうな野原だった。

 がさがさと小さいときよく遠足のとき持たされたようなビニールシートを博士は
広げる。その上に、こぶりのポット、二人分のマグカップ、ランチボックスをとり出す。

 「お昼にはいい時間だから、君も食べないか?」

 一生懸命、リュックサックの中のものを展開しながら博士が言う。

 「もしかして、僕の分もあるの?」

 「誘ったのは、僕だからな。もちろん、用意してある。ぼさっと立ってない
で、座ったらどうだ?」

 「うん」

 こうしていると、時間を逆行して幼少のころに戻って、ままごとをしている
ような気がする。

 博士はポットからハチミツ色の液体をカップに注ぐ。ふんわりと香気があたり
に広がる。

 「飲んでみろ」

 勧められて、一口飲んでみた。

 「番茶?」

 飲みやすく、くせのない味のお茶だった。

 「違う。まあいい、ワイルドストロベリーだ」

 記憶のなかから、それに関する知識を持ってきて、答える。

 「幸運を呼ぶ?」

 「君は案外と俗っぽいな」

 やはり、馬鹿にされた。

 裸足になって、僕はくるくると回りながら、野にでた。春風が僕のほほを
そっとなでていく。陽射しが、からだを温めてくれる。

 ばっと突然、からだを掴まれた。そして、そのまま抱きしめられる。

 「そんなに回っていたら、酔うだろう」

 「博士、そんなことしたら暑くなるよ。春だし」

 博士は僕の言葉を無視して、ぎゅうぎゅう抱きしめる。

 「誰もいないというのは、寂しいだけじゃないんだな」

 ぽつりと博士は言う。僕は抵抗せずに、好きなようにさせていた。どうせ、
こんなことはめったにないのだ。享受するのがいいのだろう。

 「あの、白い花はなに?」

 誰もいないのに、恥ずかしくなって、僕は目に入ったしゃんとした草花に
ついて博士に尋ねた。博士はおもむろに後ろを振り向いて、答える。それでも、
僕を離しはしなかった。

 「ドクダミだ。お茶に使えるが、特有の味がある。それが好きではないという人もいる」

 「博士は、やっぱり物知りだね」

 「君がものを知らないだけだろう」

 ゆっくりと博士は僕を解放する。つながっていたかったのに。

 「サンドイッチを作ってきたんだ。食べるだろう?」
相変わらず、いじましい言い方をすると思う。食べろって、言えばいいのに。
だから、小さく僕はうなずく。

 「うん」

 僕と博士は、空の高いところで、鳥のさえずりながら、もぐもぐと食事をした。
ちゃんと、パンのみみは取られていた。具は、たまごやハムと言った基本的な
ものから、アボガドをマヨネーズと和えたものという変り種まであった。そして、
デザートまで、ついていた。パンのみみをかりかりに揚げて、砂糖をまぶしたものだった。

 「いたれり、つくせりだね」

 僕は博士に言う。

 「君は、不器用だからな。精一杯の努力は買うが、家庭の授業ではいただけなかった」

 苦虫を噛みつぶしたように博士は言う。静かに首をふって、ビニールシートにごろんと
僕を抱えて横になる。

 「少し昼寝をする。君も寝たらいい」

 そして、博士はぐうぐうと寝てしまった。身動きはとれなくて、しょうがなく
僕も目をつむる。太陽が少しまぶしかった。




 「また、あてどない旅をしてみたいものだな」

 博士は電車のなかでぽつりと言った。

 「博士はあてどない旅じゃなかったじゃないか。だって、あの野原に行きたいと
思っていたんだろう?」

 「言葉のあやというものだ」

 博士が悪びれもせず、ぬけぬけと言い放つ。

 電車の窓が見なれた景色を映しだしはじめる。僕たちの街に近づいてきた。
僕は眠気が再びもよおしてきたかのようなふりをする。そして、徐々に博士の
肩に首をのせる。博士は、文句も、身動きもなく、ただ黙っていてくれた。

 これなら、人がいるところでも堂々とくっつけるよと心の中で博士に言う。
ただ、博士のほうは、気まずい思いをするかもしれないけど。

 電車はごとごとと僕たちを家へと運んでいく。





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