タカシのキーボードを叩く音を軽快に部屋に響かせる。カタカタカタカタ。
始めは、きちんと背を伸ばしていたが、だんだんと背が丸くなり、画面を
まばたきもせずに凝視しがちになる。ときおり、思いだしたかのように姿勢
をただしたり、眼をしばたたかせたりする。
その部屋の扉が、ゴンゴンとうち鳴らされた。
だが、タカシは目をあげようとしない。必殺技を出そうとして、ファンク
ションキーを押した。しかし、ピロリンと音がしたかと思うと、キャラの体力
が回復した。
ギシギシと戸がかしいでいたかと思うと、ガゴッという音ともに外れた。
「いっつも、いっつも、俺が扉をケリ開けなくちゃならないのは理不尽だ
よな。オイっ」
聞いているのかッ、とナツは叫ぶ。
「どうせ、僕が扉を開けなくても、ナツが勝手にぶち破ってくるからいい
じゃないか。結果的に見れば同じことだよ」
カチッと、タカシはEnterキーを押す。そして、再び指をキーボードの上で
おどらせる。
「なあ、今日はなんの日だ?」
「いやだなあ。もう耄碌したの? 若年性の健忘症は僕には手におえないよ」
「誰がだ! 正月元日から、んな不健康なことに熱中するなよ」
「や、期間限定イベントで、レアアイテムを持った敵が出現するんだよ」
画面から目をそらさず、タカシは答える。画面の中で、たぬき耳のキャラ
が光って、鏡もち型のモンスターに突撃した。478のダメージを与えて、
少しずつフェイドアウトしながらモンスターは消滅した。
「あーあ、アイテムをドロップしなかったか。これで、50匹くらい倒し
たんだけどなー」
タカシは、少し赤くした目をぎゅうっとつむる。
「なあ? 俺がいることを忘れてないか?」
「それくらいは認識しているよ。ナツは存在感があるからね」
ゴツいアクセに負けずに違和感なくナツは身につけている。遠くから
みても、お世辞にも教師などのカタい人種には、眉をしかめられるファ
ッションだった。
「人間として、礼儀ってもんを少しは知ったほうが、俺はいいと思ん
だがな」
「ナツにくらべれば、僕は品行方正で通ってるよ。髪の毛、そんな明る
い色してないし、学校の成績もいいから」
「ほー、いい度胸してるじゃねえか。いい加減、こっちみて話をし・
よ・う・な!」
言葉を吐くなり、ナツはタカシのあたまをその大きな手でわし掴みした。
そして、ツメを思いきっり立てる。
ギャー、ギャーと、タカシはあばれるが、ナツは力をゆるめることなく、
ぎりぎりとしめつける。
タカシは涙をちょっぴり浮かべ、
「分かったよう。ちょっと待って、セーブするから。ほんとにギブ!
ギブ〜!!」
許しを乞う。
すると、ナツの眉がピンと跳ね上がる。
「てめえがやってるのは、オンラインゲームだよな? んなもんに、
セーブなんてもんはあるわけねーだろ。ネットゲームなんて、いつ回線
落ちとかのトラブルがあるかもしれねーんだから」
一度ゆるめかけたのを、ナツは筋肉を総動員して、再びタカシのあたま
をしめつける。
「うう、も、モンスターがいないところで、ログアウトするっていう
意味だよ〜。もう、勘弁してよ〜」
ナツは戒めを解いてやった。ふ〜、とタカシは息をはき出した。
「ふう、ナツみたいに単純バカじゃないんだから。まったく、僕の明
晰な頭脳がダメになっちゃったら、どうするのさ」
タカシのあたまに遠慮なく、ナツはにぎり拳をふり下ろしてやった。
小さなネズミが悲鳴をあげるように、一声タカシはあげた。
「寺社仏閣にねえ。人でゴミゴミしてるし、交通費かかるし、ウイ
ルスだって撒き散らされてるし。それに、それに、男二人で行くなん
て、わびし過ぎ」
タカシはパソコンを終了させながら答える。つらつらと、ナツに元
日からゲームに費やしていることを説教され、ナツが初詣に行こうと
誘った答えが、これだった。
「て・め・え・と行くなんぞ、俺もごめんなんだがな! なんの因
果か知らないがな、俺とてめえとは兄弟なんだ! 俺たちを置いてい
った薄情な連中からな、お前を適度に散歩させてくれと言われてるん
だ! 受験生で、弟の俺が言ってるんだ! さあ、出かけるぞ!」
「や、寒いし」
それに僕イヌとかと違うから散歩とかいらない、とタカシは、机に
しがみついて自己主張した。タカシの首に、ナツはがっしりと手をあてた。
「てめえに選択肢を与えてやるから、ありがたく思え。
1・このまま俺にくびり殺される。
2・おとなしく俺についてきて、車にはねられて昇天する。
3・というか、地獄の業火に焼かれろ。
さあ、どれがいい?」
タカシは、首をかしげた。
「えっと、どれも死亡エンドじゃない? や、正解ルートとかないと答え
る気にならないね〜」
「ねえよ。つーか、天が許しても、俺が許しはしねえ」
ナツは、タカシを力にまかせてゆさぶり倒した。乳幼児にそれをやった
ら、ゆさぶられっこ症候群になるかと思う勢いで。
「す、素直についていくから、や、やめてよ〜」
「はじめから、そう言えばよかったんだよ。てめえは、手をわずらわ
せやがって」
ただ単に、初詣に相手をさそうのに、ナツはなんだか一仕事を終えた達成
感を味わっていた。
「でも、どこ行くつもり?」
ナツが×××××がいいんじゃないかというと、
「や、明らかに僕たちは出遅れてるから、今から出かけたってラッシュ
に遭遇するよ。初詣なんて行くんだったら、もっと早く行かなくちゃ」
ナツは、手がふるえるのをおさえられなかった。そして、ストレスを
溜めないために、本能に従い、タカシを殴る。
「……痛い。マンガンジンジャでいいんじゃない?」
「てめえにしては、まともな意見をいうじゃないか。そだな、そこぐら
いが妥当か。近いし」
さ、行くぞ、とナツは、タカシを部屋から引きずりだした。
タカシとナツは、元日のためか、車通りが少ない道を進んでいく。
タカシは電信柱があると、その間を通ったり、その外側を通ったりと、
線を描かない動きをする。ナツは、タカシのようにふらふらせずに、
歩いた。
ときどき、タカシは、空気が薄いから一回り大きい水槽にいるみたい
だね、とか、正月なのに凧なんてあがってない、とか、しゃべる。それに、
ナツはタカシのほうをみずに、短くうなずく。
小さな灰色の鳥居をくぐり、玉砂利がしきつめられた境内に二人は入る。
「地元の勝利だね〜」
タカシは自分の手柄のように、言い切る。
「なあ、ところで、初夢は何を見たんだよ?」
「一日から二日にかけて見る夢を初夢っていうんだよ」
「まったくいらねー知識ばかりは、あるな」
タカシは聞こえないふりをした。ナツも、そんなタカシに追い打ちを
かけなかった。かわりに、うながす。
「さ、お参りするぞ」
「へいへい」
タカシは思いっきり綱を左右にふり、けたたましく鈴の音が閑寂な
雰囲気を壊す。
「バカだろ。壊しでもしたら、てめえが弁償するんだぞ。俺は関係
ねーからな」
「この醍醐味が分からないんだから、情緒が欠けたやつはいやだねえ。
どうせ、他に人なんていないんだから、いいじゃないか」
「ガキくせッ」
鼻でナツは笑う。そして、タカシを見るのはやめて、ナツは目をつむって
祈る。横のタカシは、じっと格子の奥を見つめた。
しばらくして、タカシは口を開いた。
「終わった? 願いごと」
「ああ。てめえは?」
「僕はいい。二人いっぺんに願いごとなんてしたら、神さまだって
やる気なくすよ。」
それに叶ったとしても困っちゃうだろうし、タカシは言いながら、
もう一度ガラガラ鈴をならす。
「んなワケねえさ。だったら、人であふれてるところはどーすんだよ?」
「知らない。ナツは何を願ったの?」
「合格しますように、って。一年と少し、それなりにやったんだけど、
やっぱ最後はなんかあればいいじゃん? ま、地方とはいえ、国立だし、
のぞみを叶える神さまは大変だろうな。同じ願いが複数きたりして」
ナツは肩をすくめる。
「……俺と同じ大学にしたら良かったのに。そうすれば、僕だって
もうすこしまともな部屋に住めるし、食事にだって苦労しないだろうし」
「私立に二人もいれてもらおうなんざ厚かましいことは思ってねーよ」
なんでもないようにタカシに答える。
「……そんなことを気にして、大学を選んだんだ」
「案外考えているんだよ。お気楽な極楽トンボを兄貴に持つと、な」
ナツは冗談めかす。
「ナツと離れるのは、一年だけだと思ったんだけどね〜」
「おいおい、俺はまだ志望校に決まったわけじゃないぞ」
「日本は言霊の国、つまーり、言ったもん勝ちなんだよ。だから、
ナツはぜったいに大丈夫だよ。僕が保障する。なんて言っても、この
優秀なタカシくんの弟なんだから」
不器用なウインクをタカシはする。
一度ゆるみかけた頬を指でつかんで、
「うっせー」
と一言だけナツは答えた。
タカシは見上げると、電線のすき間からのぞく空は高かった。ビル
よりも、遥かかなたに存在していて、絵の具の色みたいに嘘っぽいほど
青だった。
ナツと同じ大学に通えますように。
それは口に出してはいけない願いだった。
意味するところは、志望校に落ちますように。
「日本は言霊の国、口に出さなければ現実にはなりっこない。憲法
第十九条、内心の自由」
タカシはおまじないのように、口にだしてみた。
「……なんか、言ったか?」
ナツの問いには答えず、タカシは助走をして、ナツの背に飛びついた。
「バカ」
ナツは振り落とさないでくれたので、タカシよりもしっかりした
背中にしがみついた。