今ではない時間、ここではない場所のお話。
その村は、山奥に孤立するかのように存在していた。食べるものも、自分たちの手ず
から耕し作っていた。着るものも、山からとれるものをこまごまとつなぎ合わせて作っ
ていた。自給自足。金がとれるわけでもなく、塩がとれるわけでもなかったので、本当
に村のなかで助け合っていた。
当然、そんな小さな村に医者などというものはいなかった。薬師という立派なものさ
えも。ただ、呪術師と山師の間のような人間がいただけだ。だから、ある年、流行り病
が起きたとき、貴重な労働力であった村人たちはほとんどなす術もなく、ばたばたと倒
れていった。うめき、もがきながら。村一番の物知りですら、首を静かにふって、亡骸
に火をかけた。
「鬼に供物を捧げて、風と地の怒りを静めてもらおうではないか」
と、村の中に自然と声があがっていった。
峻厳と立ちそびえる崖を越え、草木が猛り狂うように覆いつくしているという地に鬼
は住んでいた。その存在を、直接目の当たりにした者は久しくない。しかし、畏れ敬う
ものだった。鬼の身の丈は、天をつくもので、髪は禍々しく赤い。そして、風と地を制
するものであった。
村人が昔から語りつがれる話のなかに、村が災いに満つるとき、風と地と人の仲立ち
をし、祓ったというものがあったという、遠い昔のことを持ち出すほど追いつめられて
いた。
「娘っ子がいいじゃねえが」
「若くて器量良しを」
「いんや、明日の天気を読めるものがいい」
「おめえさ、それではだめだ。神々の声を聞くものが」
「それはいいげどなあ。そうっすど、誰が種をまくのを教えてくれるんだ」
「じゃあ、困っだらなあ」
「ああ、だったら、村のなかの娘っ子を集めてみてはどうだ」
「それが、いいべさ」
「であるならば、これ以上の被害が出ないうちに決めようではないか」
喧々囂々の話し合いの末、村の年寄りたちの取り決めにより、明朝うら若い娘たちが
あつめられて詮議することになった。
しかし、娘たちを集めても、誰を供物にするかすんなりとは決められなかった。それ
ぞれに、良いところがあり、悪いところがあった。
村長は、長という立場から、
「供物としてあげるのは、自分のところの娘にしよう」
と言った。
長は知っていたのだ。親の悲しみを、苦しみを、寂しさを。だから、あえて、名乗り
あげた。
「わたくしも覚悟をしていました。わたくしは、誇り高い村長の娘です。こういうと
きにこそ、範とならなくてはならないのでしょう。わたくしは、鬼への供物となりまし
ょう」
村長の娘、カタビラは、村長の言葉を受けて、毅然と言った。
村人たちも、自分たちの娘が役を担う必要がなくなったことに胸をなでおろした。し
かし、村長の心情を察することができるだけに上っ面のなぐさめなど言葉にできなかっ
た。
そして、カタビラはその夜、末の弟にだけ、そっとこぼした。
「わたくしは、……わたしは、本当は怖くて仕方がない。等しく全てを呑み込む彼方
の地へと出向くこと。鬼への供物になること。そして、結局は何にもならないことにな
るかもしれないというのが」
「姉さま。僕が行きましょう。僕だって、村長の子どもです。かよわいおなごの身
で、ひとり獣も立ち寄らない山の奥へと行くのは大変でしょう。だから、僕がまず、確
かめてきましょう」
カナタは、姉の細い体を力強く抱いて、安心させるように言った。
「だめ、いけない。わたしも、村長の娘。いざというときの覚悟ぐらい……できてい
るわ。それに、もう決まってしまったもの」
カタビラは、弟の言葉をたしなめた。
だけど、カナタは、強い瞳で、
「僕が行く」
と言い切った。
「絶対に、姉さまを僕が守るんだ」
カナタは、その言葉を実行した。
村長たちを集め、自分が行くと主張した。うっそうとした山を行くには、おなごの身
では無理かもしれない。まず、自分が鬼へ話をつける、と。
村長たちは、カナタの意見を退けようとした。しかし、カナタは退かなかった。どう
しても、自分が行くのだと、何度もなんども頑なともいえる態度で、言った。
「よかろう。そこまで言うのならば、カナタよ。言葉を実践してみせよ。未熟な身で
そこまでの大言壮語をして、本当ならば、罰をくださなくてはいけない。だが、代わり
にお前の言を受け入れてみようではないか?」
「まあ、やっでみでもいいじゃねーが」
「そっだな。もし、おじゃんになっぢまっだら、カタビラがいるだろうさ」
「おめえが行っだどしでも、カタビラが行ぐごとになっぢまうかもしれねえぞ」
村長たちの目をまっすぐ見つめかえして、カナタははっきりと答えた。
「分かってます。僕が、僕が行きます。そして、鬼へこの身を捧げましょう」
「そっだら、わしらはもうなんも言わねえ」
「村長、なんが言っでぐれ。カナタだっら、良かろう」
「……村長として、命じる。村の命運をあずけるぞ、カナタ」
村長は、少しだけ息をついてから、言った。
「はい。任せてください」
そして、カナタは旅立った。