鬼が住む地への道のりは険しかった。

 それでも、カナタは黙々と足を進めた。

 村から少し分け入ったところとは、視界がまったく異なっていた。優しい鳥の歌声も、
たわわに実った果実の一つも存在していなかった。人間の意志さえも挫くような緑、緑、
緑がそこにはあった。

 地面に野放図に広がっている木の根に思わず足をとられた。カナタは転ぶまいと、木に
手をかけて、体を支えようとした。

 「痛っ」

 ぽたぽたと鮮血が指の間から落ちた。木に巻きついていた茨で思い切り刺してしまった。

 「おいッ、お前、こんなとこで何しているんだッ!」

 カナタは声の方へと顔向けると、燃え立つ炎のような髪をした少年が、立っていた。

 「君は……誰?」

 「お前こそ誰だッ! ニンゲンも、まして、ケモノすら立ち寄らない奥地まで、何しに
来たッ!」

 黄色と黒の縞模様の腰布ひとつだけ、彼はまとっていた。しかし、彼の姿は、薄物しか
身につけていないという頼りなさよりも、この圧倒的な樹木のなかでも負けずに生命力を
発していた。なによりも、カナタを落ち着かなくさせるのは、揺るがない瞳。その瞳に見
つめられると、心の臓まで射抜かれるかと思うほど勁い。

 「僕は、この下の村からやってきたんだ」

 「帰れッ! ここは、お前の求めるものなど何ひとつないッ。猪も、熊も、ここには立
ち寄らないッ」

 真紅の髪をした少年は、とりつく島もなかった。

 「だめなんだッ! 僕は、鬼に会わなくていけないんだ。そして、風と地の怒りを鎮め
てほしいんだ。それができなくちゃ、村の人たちが死んじゃうんだ。ほくろみたいに小さ
な黒い点ができたかなと思ったら、それが日に日に大きくなって、次第に体すべてが黒く
なって。苦しい、苦しいって言いながら、ついに起き上がれなくなってしまう」

 「……季節が巡れば、その病も消えちまう」

 「それじゃあ、だめなんだ。このままじゃ、みんな倒れちゃうんだ。なんとか、なんと
か、しなくちゃ」

 カナタは興奮してせいか、思わず瞳からぼろぼろと涙がこぼれた。

 「ちょッ、なんで、泣くんだよ。ニンゲンが死ぬなんて、当たり前のことだろ?」

 しかめっ面していた少年も、おろおろする。

 「そんな、だって、死んでしまったら、終わりじゃないかッ」

 こぼれる涙をぬぐわずカナタは少年をにらみつけた。

 少年はとまどったようだった。樹木に覆われ、かすかに見える青い空をみあげて、ぽつ
りと言った。

 「……その、病をとめれば、お前は泣き止むのか?」

 カナタは一瞬、意味が分からなかった。意味を理解すると、

 「もちろん」

 と、鼻にかかった声でうなずいた。

 少年は瞑目して、言葉を紡ぎだす。

 「地は、地。天は、天。すべからく、あるがままのものを歪めるもの。その源を断ち、
連綿と繋がるものを絶やさないために、古の盟約のもとに」

 炎のような真っ赤な髪の毛をゆらゆらと、逆立てながら、

 「疾く命をなしたまえッ!」

 世界に宣言する。

 カナタは、圧倒された。原始のままの力強いリズム、すべてのものを従わせる理の外の
力に。

 「君……は……?」

 自然と涙は止まっていた。

 「泣き止んだか。これで、悪いものはなくなった。ああ、おいらか。ニンゲンは、おい
らのことを鬼とか呼ぶな」

 「鬼は人間を供物として捧げなくては望みをかなえてくれないんじゃあ?」

 少年――鬼――は、ムッとしたような表情をした。

 「誰だよ、んなこと言ったヤツ! おいらは、ニンゲンなんか要らないやいッ!」

 カナタは、少年には悪いけど、ホッとした。予想していたよりも、話が通じることに。
そして、村の悪たれのような様子に。

 「名前は? ……えっと、なんて呼んでいいか分からないし……」

 少年は、しばらく沈黙したあとに、

 「……ライ。カミナリのライ」

 と、答えた。

 「ライ、ありがとう。これで、村は救われたよ。ライがいなかったら、もっと、もっと
恐ろしいことになってたよ」

 「別に……」

 ライはぷいっとそっぽを向いた。

 「あっ、僕の名前をまだ言ってなかったよね。カナタ。ここではない遥けき場所を指す
言葉なんだって。お礼がしたいんだけど、村にもどったら、食べ物とか、きれいな衣服と
か、何がいいかな?」

 何がお礼になるかなってカナタはうきうきした様子で言う。

 すると、きょとんとした顔をライは浮かべた。

 「もう村には戻れないぞ」

 「えっ!?」

 「カナタは、俺の伴侶となったのだからな。村には入れないんじゃないか?」

 「どうしてッ!? 伴侶ってなにッ!?」

 「名前を交換するって、そういうことだろ。伴侶って、言うのは生をともにするものの
ことだ。カナタは、おいらのものになっちまったから。村の結界が邪魔するからだ」

 「村に結界なんてあるのっ!?」

 「ああ。おいらにとっちゃあ、ショボいんだけどな。理の外の力を持たないカナタだっ
たら、ヘタしたら、命にかかわるかもしれない」

 「……そんな……嘘だよね」

 ライは静かに首をふった。

 カナタはガクっと力が抜けて、ひざをついた。

 ライは、ぽつりと言った。

 「おいらと暮らすのはイヤなのか?」

 カナタはただ首をふることしかできなかった。

 しばらく、お互い黙っていたけれど、ライは

 「カナタ、おいらたちの家に帰るぞ」

 言って、カナタを横抱きして山を駆けた。

 「えっ!? ええっ!?」

 ライにしがみついて、驚きの声をあげる。

 「しっかりつかまっていろよ」

 人ならぬ身ゆえに出せる力か、カナタがくらくらする速度で移動している。だが、落と
さぬよう、潰さぬよう微妙な力加減で、ライはカナタを運んだ。カナタは、怖いという感
情のほかに、なんだか分からない温かい気持ちが存在していた。






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