授業の合間、和樹の方を見ても、完全に無視されてしまった。
そして、休み時間に声をかけようと近寄るが、剣人とは親しくない高梨零にくっついてしまった。二人の
会話をなんだか邪魔しがたかった。
一度だけ、会話に割り込んで誤解を解こうと剣人はした。
「なに、この冷血漢。話かけてこないでよ。僕、今、零と話してるんだから」
心が冷える声で言われて、すごすごと剣人は退散するほかなかった。
ちらりと未練がましく和樹のほうに目をやると、同情を湛えた零の目とあった。
だが、すぐに機嫌の悪い和樹の相手をし始めて、剣人は本当に立ち去るしかなかった。
*
なんとかしなくてはいけないという剣人の焦りも虚しく、授業も全て終わり放課後となってしまった。
今度こそは、と思い、和声をかけようとするが、「先に帰る」と言い放たれてしまった。
「ちょっ、待てよ。俺、話があるんだ!」
「俺はない」
「ちょっとくらい聞いてくれたっていいだろっ」
「時間の無駄だ」
「どうしたんだよっ。俺、確かに悪いことしたなって思ってる。それも謝りたいし、和樹がしてる誤解をた
だしたい」
剣人は、和樹を逃がさないように、必死で言い募った。
和樹は、顔を歪めた。
「バカ、じゃない?」
和樹は、拒絶の言葉を吐く。
剣人は、自分の愚かさを呪いたくなった。
剣人と和樹の距離を考えないで引いてみたって、結局は和樹を傷つけ、こじらせるということすら予測
できなかったことを。
「お話中、ごめんね。犬崎くん、さっき来てた子が来たみたいだよ」
奈々がただならない雰囲気を醸す二人の間に割り込む。
「ああ、悪い、松原」
和樹を捨て置いていくこともできず、剣人はおろおろする。
まなじりを上げて、和樹は剣人を叱る。
「速く、行ってくれば」
「今日は、一緒に帰ろう。すぐ戻ってくるから! 沢山、話したいことがあるんだ」
和樹は沈黙をもって剣人の声に答えた。
後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にする。
「すいません、犬崎先輩、お時間をとらせてしまって」
「いいよ、気にしないで」
剣人は浮かない顔で、桜子の前に立った。
「え、えっと、中庭でお話ししませんか? ここじゃあ、なんですし」
「分かったよ」
必死な桜子を見て、剣人はなんとか笑顔を作る。
桜子もにっこりと笑う。
しかし、剣人の心は晴れなかった。
*
中庭は、相変わらず落ち葉で埋め尽くされていた。
片隅に植えられている柊を見ると、儚い白い花が咲いていた。
てくてく前を歩いている桜子の表情は長い黒髪に覆われて見えなかった。
段々と寒くなってきて、空の色も寒々しい。
うっすらと白い月が昼間なのに、空に浮かんでいる。
「すいません。少し寒いところに連れてきてしまって。だけど、すぐ話は終わりますから」
「うん」
ぼんやりとした返事を剣人はする。
緊張した面持ちの桜子を前にして、その様子に気づくことなく緩い笑みを浮かべる。
お互い、数秒間黙っていると、桜子が口を開いた。
「私、犬崎先輩のことが好きなんです」
真摯な瞳で剣人を桜子が見つめる。
「先日、先輩にラブレターを出したのも私です。ただ、そのとき、どうしてもおまじないの紙しか、いれら
れなくて、名無しになっちゃったんですけど」
顔を真っ赤にして、言葉を矢継ぎ早に続ける。
「あれは、君だったのか」
「はい」
「……えと、なんでこんだけ日にちがたった後で告白をしてきたのかな? ラブレターが届いてから十日
くらい経ってるんだと思うんだけど」
桜子の気持ちに応えられない。
剣人はすぐ思った。
だけど、できるだけ傷つけずに断る方法が思い浮かばなくて、思った疑問を口にする。
「あれは、部活の先輩のアドバイスを受けたんです。『おまじないをやった後、本当に相手を好きだった
ら、満月の日に告白してみるといいよ』って。でも、思い立ってやってみた後、月を調べるとこんな後だっ
たって気づいたんですけどね」
私、結構、後先考えずにやっちゃってよく失敗しちゃってるんです。桜子は、ひっそりと微笑む。
「でも、行動力があるってすごいよ。俺もおんなじタイプかもしれない。よく失敗するよ」
剣人も緩い笑みを浮かべる。
「君の気持ちは嬉しいんだけどね。残念ながら、気持ちに応えることができないんだ。」
桜子ははっと目を見開く。
「どうしてですか」
声を震わせて疑問を発する。
「俺、好きな奴がいるから。だから、ごめん」
すうっと冷たい風が二人の間を吹き抜ける。
剣人は、頭を下げる。
不器用だけど、誠意溢れる態度だった。
「わ、分かりました。先輩みたいな人だったら、ステキな恋人くらいいらっしゃいますよね。ありがとうご
ざいます」
顔をくしゃくしゃにして桜子は、剣人に対してぺこっと一礼すると、校舎の方に向かって走り出した。
桜子が去った方向に目を向けて、しばらくその場に立っていると、声がかかった。
「わー、ヒドい男ねえ」
振り返ると、奈々が立っていた。
「――松原」
「私も、告白しようかな。見ていて、私もしたくなっちゃった」
奈々は目を伏せていたが、顔をあげた。
凛とした空気をまとって、剣人と対峙する。
「私、松原奈々は、犬崎剣人のことが好きです」
剣人は目を見開く。
しばらく、二人とも見つめあったままだった。
「だけど、俺は――」
「知ってる。笹山くんのことが本気で好きなことも」
「だったら、なんで」
奈々は泣きそうな顔をして剣人の顔を見上げる。
「自分でもアンフェアなことをしているって、分かってる。だけどね、やっぱり、やっぱり、犬崎くんのこと
が好きなんだ。傍に、犬崎くんの隣にいるだけじゃ、満足なんてできなくなったんだ。もっと、もっと、私の
こと見て欲しいなって、思うようになっちゃったんだ」
「じゃあ、俺に近づいてきたのは……」
「うん、好きだったから。ごめんね。私、犬崎くんのことが大好きだよ」
剣人は奈々の態度に困惑した。
「私、中学の頃から剣道の大会に出てる犬崎くん見て、一目ぼれしたんだよ。だけどね、実際会って話
をしたら、全然いい人なの。好きで好きでどうしようもなくなった。止まらなかったの。好きって気持ちが」
「へー、そりゃ立派な理由だわ」
「和樹っ」
眉を顰めた和樹が校舎の陰から、出てきて吐き捨てた。
「松原さん、好きって感情があれば、全てが許されるとでも思ってるの? バッカじゃない? 友達の仲
を悪くしようとしたり、友達のふりして恋人になろうって下品な画策したりするのって、かなり、卑怯なん
じゃない?」
「和樹、どうして……?」
「あんまりにも遅いから、迎えに来てやったんだよ」
ほらと言って、和樹は自分の首に巻いていたマフラーを剣人にかけてやった。
奈々は泣きそうな顔して、和樹を睨む。
「しかも、陰でこそこそと人の告白聞いちゃってさ。なに、さも今来たばかりですって顔で登場してんだよ」
「そういう笹山くんこそ、私のことよく知ってるじゃない? 本当に今来たばかりなのかしら?」
一瞬、和樹は怯むが、居丈高になって奈々を威嚇する。
「どうだっていいだろ。てか、面の皮が厚くていらっしゃって、マジで繊細な僕には羨ましいかぎりだ
ね。ちょっと顔がいいからって、調子のって自分が世界の中心とか思うな。うっとしい。なにが『自分でも
アンフェアなことをしてる』だよ。媚売るなよ」
和樹は憎憎しげに冷たく切り捨てる。
「おい、和樹っ。やめろよな、女子相手にそんな言い方」
剣人は、辛そうな顔をしている奈々を庇って和樹を止めようとする。
「なに、フェミニストぶってるんだよ。ここは、学校だ。男女は平等だって実践されなくてはいけない
場さ。だから、僕は対等に松原さんを相手をしているんじゃないか。女子だろうが、男子だろうが、やっ
ちゃいけないことはやっちゃいけないんだ。人間的にかなり、サイテーな行為をしたんだ」
「和樹っ!――止めろ、和樹っ!」
和樹は正しいことを言っているのかもしれない。
だけど、悪いことをしたと思ってる人間に対して、嵩にかかって責めるのはよくないことだ。
剣人はそう思う。だから、怒った。
和樹はぶたれたかのような表情をして、傷ついた顔をした。
ゆっくり和樹は二、三歩後ずさったかと思うと、くるりと後ろを向いて駆け出した。
「松原、ごめん。俺も最低な男だから、これでお互いさまということにしてくれ」
「うん、分かってた」
表情の無い顔して奈々は立っていた。
そんな奈々を置いておけないという気もあったが、和樹の方を剣人は優先した。
不器用な生き方しか出来ない和樹の後を追った。
しばらく寒風の吹くなかで、奈々は立っていた。
「引き際を誤るなって俺は、忠告したぞ」
啓太がやってきて、マフラーを奈々の前にだす。
「なんで? どうして?」
顔を歪ませて奈々はそれを受け取る。
「ああ、知り合いがな、犬崎の告白シーンが中庭でやってるって喧伝してたから、口止めをして、不逞
な輩が見に来ると言っていたのを説教してきたところだ。言われても来るバカをこらしめようと思ったら、
お前がいた」
「私、私、最悪なことして、何にもならなかったよ」
「もういい、何も言うな」
啓太は奈々の震える肩を抱き寄せた。
春や夏に比べてずっとずっと空が高かった。
しかし、紅葉の赤や黄色、大きな樹の幹の深みのある茶色。暖かな色が世界には満ちている。
そんな優しい空気に包まれて、奈々は思いっきり隣に立つ啓太の胸の中で泣いた。
*
ずんずんと和樹は歩いていく。
「待てよ、和樹っ」
「いや、顔見るな! あっちいけバカ」
鼻にかかった声で小さい子どものように首をふる。
和樹は何度も首をふる。
剣人は肩をつかんで、それを止めさせた。
「和樹、俺の目を見ろよ」
「ヤダ。なんとなくだけど、知ってたよ。ああ、松原さんと付き合ってるなんて嘘だって。全部、知ってた
よ。でも、僕は許せなかったんだ。剣人も、自分も。剣人はニブチンだから、どうせ松原さんが悲しそうに
笑うのに気づかなかっただろう。僕は、それ知ってて最悪な気分だった。当然横にいるはずの剣人が、
本当はそうじゃなかったんだって思い知らされた」
独りでいることは寂しくて辛くて怖いことだったと和樹は呟く。
「うん」
「ああ、剣人は僕が目を離すとどこでも飛んでいっちゃってしまうんだって。いつも、僕と一緒に行動し
て、僕が傷つかないように守ってやるって小さい頃の約束なんて、実は剣人次第なんだって。それがな
んだか悔しくて悲しくて――ゴメン。自分でも何言っちゃってるのか分からないや」
「うん」
「何か言ってよ、剣人」
普段、生意気な和樹が弱々しく懇願した。
剣人の腕にしがみついて、灰色のコンクリートの地面に座り込んでしまった。
剣人も、一緒に座り込んだ。
「俺、和樹のことが好きだ」
真剣な表情で剣人は告白する。
和樹は泣いてるような、笑ってるような顔をした。
「僕はずっと前から知っていたような気がする。ずるいよね。剣人が僕を好きでいてくれることはかなり
嬉しかったんだ。ああ、好きでいてもらえてるって感触がとても幸せだった。そして、同時に苦しかった
んだ。松原さんみたいな人がいるから。でも、自分から告白することができなかった。自分の単なる勘
違いに過ぎなかったのかもってのがひたすら怖かったんだ。」
和樹の腕を離すまいと確かめるように掴む。
声が震えていた。
「僕は素直じゃないし、性格も悪い。そして、そんな自分が大嫌いだ。弱虫な自分が大嫌いだ。剣人み
たいに人をまっすぐ見ることができない自分が嫌いだ。でも、だけど、剣人の隣に居たいんだ。僕にでき
ることがあるなら、なんでもするからっ。好きなんだ、剣人」
張り詰めていたものが崩れるかのように、和樹の瞳から涙がこぼれる。
幾滴も、幾筋も涙があふれた。
「俺は、約束する。ずっと和樹を傷つける全てのものから、守ってやるから。本当は、少しばかり正義
感が強くて、優しいやつだって、俺は知っているから。自分ができないとわかるとできるように何度も努
力してるのだって、知っているから。」
何度も和樹は笑おうとするが、涙があふれてきて、うまく笑えなかった。
だから、剣人は和樹が笑顔になるまで、抱きしめて、何度も誓いを口にした。