慣用句や、ことわざ、金言などは概ね正しい。
ただ、相手と時と場合によって正解となる慣用句などが異なってくるのだが。
作戦がことごとく失敗に終わった剣人は、自分の醜態を思いだし、沈んだ。あまりの恥ずかしさに憤死
しそうな勢いである。
奈々は、そんな剣人を励まし、最後の作戦を遂行するよう焚きつけた。
今まで、攻める姿勢だったから失敗したのだ。『北風と太陽』みたいに、きっと引く姿勢が今までの失
敗がより効果を示してくれる、と。
その言葉に、夏の終わりのヒマワリのようだったのが、もう一度、夏が来て太陽に向かって花開くかの
ような能天気な明るさを剣人はとり戻した。
世間では、これを「単純」と呼ぶ。
*
その単純は、和樹に近寄らないにした。
朝も、休み時間中も、昼食も、下校も。
剣道の大会が近いからと言って、和樹とともに行動することを止めた。
剣人は、和樹がごねるんじゃないかと思っていると、あっさりと和樹がそれを受け入れた。いつもなら、
皮肉の一つでも吐くから、身構えていた剣人は拍子抜けしてしまった。
和樹主体だったので、つるんでる奴らとかいなかった。すると、キューピッド奈々と行動することが自然
と多くなった。
共通の秘密を持ってる同士ゆえに、剣人と奈々は親しい様子を見せる。
単純な剣人は、もちろん気づかなかったが、周囲の情報の速い人間の間では二人はつきあってるん
じゃないかというウワサまででる始末だった。
「松原、次の選択授業、なに?」
「音楽だよ。犬崎くんは、美術だったよね」
奈々は声を潜めて言う。
「笹山くんと一緒だね」
「ああ」
「きっと、笹山くんも犬崎くんの大事さを痛感してるよ」
「っていうか、俺、だんだん自信がなくなってきたよ。結局、和樹のそばにいることができたのは俺っ
て、どこか思っていたのに。あいつ、全然、普通にしているんだから」
犬耳があったら、ぺたんとへたって、尻尾も下がっているだろう。剣人は、しゅーんとなった。
「じゃあ、恋する相手変えちゃえば? きっと、苦しくなくなるよ」
奈々は、慌てたように言った。
「俺、そんないい加減じゃ――」
「犬崎くんは、もてるんだから。本当だよ」
剣人の言葉の先を紡がせないように、言葉を重ねる。
「なんだったら、私が相手、とかしちゃおうか?」
ぎこちなく奈々は微笑む。
「え――」
「おーい、犬崎、客が来たようだぞ」
啓太が来て、二人の会話の邪魔をする。
「え、あ、悪いな、高田」
「速く行ってやったらどうだ? 一年女子がなんだか知らないが、二年の教室まで来たんだ。戸口のと
こでもじもじしてたから、きっと居心地が悪いんだろうよ」
微妙な雰囲気をするっと無視して、啓太が剣人を促す。
「じゃあ、松原、俺、行ってくるわ」
「剣人、次、移動だろ? 急げよ」
「ああ、分かった。サンキュ」
緩い笑みを浮かべて、剣人は自分に用があるという一年のもとへ向かった。
奈々は静かに、深く溜め息をつく。
「タイミング、悪いなー」
「いや、俺は狙ったがな」
冷たく啓太は笑う。
奈々はその笑みに気圧される。
そして、静かにたおやかな笑みを浮かべた。
「馬に蹴られて死んでしまえ」
線が細くて可憐とウワサされている少女が露骨な悪意を吐き出した。
「お前もな。引き際を誤ると痛い目にあうぞ」
飄々として、それを受け流す。
「それと、恋のキューピッドがそんなにガッつくなよな。見ていて、うっとしいぞ」
奈々は唇を噛みしめる。
「高田くんって、冷たい人だね」
「親にもよく言われるよ」
端然として啓太は立っていた。
*
剣人は、おずおずと立っていた一年生に声をかけた。
「何か用かい?」
その一年女子はびくりとして、体を縮めた。
「せ、先輩に用があ、あったんです!」
勢いよく、伸び上がって大声を発したかと思うと、かみまくりだった。
一年女子は、赤面して、一人混乱した。
剣人は、つられて落ち着かない気持ちになった。
「う、うん。な、何、かな?」
「え、えと、うん、私」
「う、うん」
「かっ、上山、桜子と、も、申し上げます!」
混乱の極みに立った桜子は、敬語を用いだした。
剣人もまたつられてしゃちほこばった。
二人して廊下で混乱するという、よく分からない事態に展開してしまった。
「なに廊下で騒いでるんだよ?」
半目にした和樹が会話に割って入った。
とっても機嫌が悪そうだった。
「二人とも、まず落ち着け」
涼やかな和樹の声を聞いて、剣人はクールダウンした。
久しぶりの和樹の隣というポジションは居心地が良かった。
「上山さん? で、一体何の用事かな?」
「え、えと、実は犬崎先輩のこッ――」
剣人の言葉を受けて、桜子は勢い込んだところを、和樹が口を塞いでとめた。
女子に対して、かなりの行動をさらっとしている。
苦しいのか、桜子は顔を真っ赤にして、むーむー呻いている。
剣人は、和樹に何か言おうとしたら、目で制された。
「上山さん、こんなところで話す内容じゃないでしょ。それに、休み時間も残り2分くらいしかないよ。だ
から、もう一度、場を改めて設けたほうがいいよ。それに、ウワサになっても困るでしょ」
和樹が冷静に指摘すると、桜子は大人しくなった。
そして、桜子を解放した。
「そうですね……え、と……」
「笹山」
「笹山先輩のおっしゃるとおりです。い、犬崎先輩、放課後、時間をく、くださいっ!」
「うん、分かったよ」
剣人は、いっぱいいっぱいな桜子に対して、幼子が一生懸命背伸びをしているかのような微笑ましい
感情が湧いた。
保育士さんのような表情をして桜子を見やる。
隣にいた和樹は、剣人の暢気な態度に眩暈がしそうだった。
このシチュエーションでする表情じゃないだろっと、声を荒げて剣人の首を揺さぶりたい気分に陥った。
相変わらずの剣人の鈍さに頭痛がしそうな和樹だった。
「よう、和樹」
剣人は、なんだか顔が赤らむのが分かった。
「なんだよ、剣人」
「ごめんな、最近、忙しくて、さ」
剣人は、俯いて申し訳なさそうな表情をする。
「いいよ、別に」
桜子のおかげで、和樹は冷静に対処したが、もともと苛々していた。神経がまた尖ってくる。
声にも次第に苛々が含まれる。
「だって、松原さんっていう彼女ができたんだもんな!」
和樹は苛立ちを隠しきれなくなり、ついに噴火した。
「大会が近いなんて嘘っぱちじゃないか。俺という親友よりも、彼女の方が大事なんだもんな。そりゃそ
うだよな。夏目漱石を引き合いにだすまでもなく、当然の心理だろうさ。一緒にいられなくても、当然だろ
うよ」
衝撃に固まっていた剣人は、飛びあがる。
「どういうことだっ!」
「どういうことも、そういうことも、ない。最近、二人していちゃいちゃしまくって、目障りなんだよっ! 不
純異性交遊男め!」
それだけ言い捨てると、和樹は走り去った。
「ちょ――なんだよ。俺、また空回りかよ」
剣人は独りうなだれる。