『I’m loving you』

丁寧に書かれた黒字の文字で表現されたシンプルな愛の表現が剣人の下駄箱に入っていた。手紙
の差出人は署名をしなかったようだ。

剣人の中では台風が吹き荒れる状態だったが、なけなしの理性を総動員して和樹と一緒に登校して
きた。その和樹が後ろから手を伸ばして手紙を奪い取る。

そして、眉をしかめる。

「なんで和樹が眉をしかめるんだよ?」

「差出人の知性の低さを呆れてるんだよ」

「くどいようだけど、なんで?」

「英文法バッテンだな」

処置なしという顔で和樹は頭をふる。

「現在形でかかなくちゃ、ダメってこと?」

「不十分ながら、当たりだよ。僕だったら、こんな告白されたら断るね。進行形が表す意味は、一時的
な事柄とか未来の事柄とかを指すからだよ。まあ、強調っていう場合もあるんだろうけど、ね。というより
も――」

高校二年生にもなって、こんな初歩的なことに気付かない人間もいるんだなと小馬鹿にしたように和
樹に見られる。

「I love you、でいいんだよ」

和樹の桜色をした唇が愛の言葉を綴る。

「不変の真理、習慣的な事柄を現在形は表すんだ」

「……I love you」

「そう、よく出来ました。一時的に貴方を愛していますなんて、正直だけどつまんない告白なんて間
違ってもしないでね。てか、現在進行形なんて気の利いたことなんて剣人はしないか」

鼻で笑って興味を失くしてぽいっと愛の手紙を和樹は渡した。

手紙の差出人に剣人はそっと合掌した。ここまで和樹に酷評されて可哀想にとそっと同情する。

「犬崎くん、おはよう」

「ああ、おはよう、松原」

「ラブレター? あーあ、先を越されちゃった」

奈々の顔をまじまじと見つめてしまった。すると、奈々は吹き出した。

「ちょっと、そんなマジな顔をしないでよ。困っちゃうわ、私」

困っちゃうとか言いながら、奈々は涼しい顔をする。

「犬崎くんは知らないかもしれないけど、実は女子からの評判がいいんだよ」

「嘘だよ、それは。 俺、バレンタインデーとか恵まれてなかったし」

剣人は脱力したように首を振りながら言う。

「あの笹山くんをそれとなくフォローしちゃってるし、困ってる人見かけたら助けてあげちゃってるし。
この間なんか、私の後輩が中庭で派手に画材をばら撒いて途方に暮れていたところをささっと登場して
きて、とってもカッコよかったって言ってたし」

「困ってる人がいたら助けるのが普通だろ」

緩い笑みを浮かべながら当然のことだと言い切る。奈々は、それができる人がなかなかいないんじゃ
ないと苦笑した。

「それにバレンタインデーだって、笹山くんとの会話でチョコレートが苦手なんだとか話したらしいじゃ
ないの。たまたま、誰かがそれ聞いていたらしくって、女子の間では有名な話だったんだから」

「おはよう、松原さん」

剣人の影に入って、ちょうど奈々からは見えない位置にいた和樹が挨拶をする。

「ああ、おはよう笹山くん」

「どうでもいいことだけど、「あの」笹山くんとはどういう意味なのか詳しく教えてもらいたいなあ」

女子相手でも、愛想のかけらのない顔で和樹は問いかける。慣れている剣人でさえ、どうでもいいと
言ったわりに真剣な表情の和樹にビビる。

「えーと、ほら、笹山くんって……」

後が続かなくなった奈々を見かねて剣人は口をはさむ。

「とりあえず教室にいかないか。こんな所で立ち話もなんだし」

「そうだね、靴を履き替える人の邪魔になるかもだからね」

奈々はほっとしたような笑みを浮かべた。

対する和樹は不満顔だ。なんとなく自分の話題が流れてしまったことに納得しきれていない。

「……どうせ性格が悪いですよう」

誰にも聞き取れないほどのかすかな声で和樹は呟いた。

「うん? 和樹、なんか言った?」

耳敏い剣人は和樹に聞き返した。

「なんでもない、なんでもないです」

グレーの天井を見上げながら、和樹は答えた。

教室に向かう道行きでまた言葉を交わし始める。

「ていうか誰だろうねえ、あんな手紙だしたの?」

「誰だっていいでしょうに、名前書いてないんだから」

和樹は沈黙するのが気まずいと思った奈々の努力を一言で粉砕した。

「ま、まあまあ。……確かに、俺も気になるよ。手紙をもらったのは俺だからね」

「しっかも、古典的だよね。下駄箱に手紙なんてさ。一昔前の恋愛マンガじゃないんだし」

相変わらず、和樹は酷評し続ける。

「でも、理に適ってると思うよ。メールで告白するなんて味気ないし、電話なんかだと親しくないとダメ
でしょ? 連絡手段なんて限られてるだから、恥ずかしがり屋さんにはぴったりだと思うけど」

「名前を書かずに好意を示す手紙なんか送ったって意味がないだろうに」

「和樹、それは違うんじゃないか? 俺は誰かに好かれているってことは分かったぞ」

剣人が反論すると、和樹は一瞬悔しそうな顔をした。しかし、奈々の目があるのに気づいて、ただぼそ
りと一言もらした。

「……そうだね。そりゃ、よかったね」

完璧に和樹はヘソを曲げてしまったと、その呟きを聞いてから剣人は気づいた。






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