虎太は、下山北高等学校の文芸部を後にして常盤通りを歩いていた。

 文学部の文芸科に所属している虎太は、度々、高校生たちの創作指導をしているのだ。
ボランティアでやっているのではなく、学生課を通してのバイトだった。母校のアルバイトで
高校時代やっていた部活だったので、すんなり話が決まり、週二回の割合で通っている。

 虎太としては、人の書いたものを添削するのが苦でもなかった。そのうえ、ときとして虎太が
感心してしまう文章を書く生徒もいるので、なかなか楽しかった。創作指導といっても、虎太
は一から十まで助言をしなかった。ただ、日本語として成り立たない表現を指摘するにとど
めて、構成に関しては口を挟まない。

 虎太の色に染めないようにするための工夫である。もちろん、構成や表現技法について相談を
受ければ、アドバイスをする。だが、生徒には虎太から見ての話だと釘をさすことを忘れない。自
分のコピーができあがってもうれしくないからだ。

 指導が慣れていない頃は、遠慮して実のないことを言ったり、とんちんかんなことを言ってしまっ
たりと、今自分でも苦笑いしてしまうようなことがあった。しかし、部活をしていた頃からなついてく
れた後輩たちがいたおかげで、虎太の創作指導は大人気だった。

 生徒と顔合わせのとき、創作指導の人間という肩書きのために、虎太を知らないものたちは遠巻
きに眺めていたが、人好きするような少年が虎太に近寄ってきた。

 「先輩、板野先輩、お久しぶりっす」

 「ああ、酒井ももう高校三年生か」

 「先輩とたいして変わりませんよ」

 人懐こそうな顔で酒井哲哉は笑った。

 「俺、先輩がいなくて寂しかったっすよ。てか、先輩やせました?」

 ひょいと哲哉は虎太の腰を抱きしめた。いきなりの行為に虎太は顔を赤らめてしまった。その真っ赤
な顔を見た生徒たちはくすくすと笑った。

 「おい、やめろよ。俺は、創作指導に来たんだよ。ほら、立山センセーが……」

 「別に続けてもいいぞ、俺は。ラブラブでいいじゃないか」

 虎太を救ってくれるはずの立山は、あっさりと見放して哲哉を好きなようにさせていた。だが、なん
だか密やかに期待をこもったまなざしが虎太をちくちくと刺したので、いつまでも腰に抱きついて、あ
まつさえ頬をすり寄せてくる哲哉をふりほどいた。

 「いい加減にしてくれ!」

 「まあまあ、板野をはじめて見るものもいるかと思うが、本当はつきあい易いやつだから気軽に創
作指導をしてもらえ。板野を持ち上げるわけではないが、見る目はたしかにある」

 さらっと虎太の抗議を流して、立山はしっかりと紹介をすませる。それなりにかしこまっていた虎太
も脱力して、本来の虎太を自然と出すことができた。飄々としている立山を少しだけ見直した。

 「センセー、板野先輩を俺の専属にしてくれないっすか?」

 虎太はその場にしゃがみこみたくなった。アホすぎる提案だ。

 「俺が在学中もお前の書いたやつ散々見たじゃないか」

 「えー、だって、先輩の指摘とっても役に立つっすよ」

 「酒井先輩、そこまでですよ。僕たち一、二年生だって相談したいんですから。時間はたっぷりある
んですから、求愛活動はまた後にしといてください」

 小柄な少年が哲哉の傍若無人な行いを制止した。

 「求愛って……。でも、和樹も大きくなったな」

 わしゃわしゃと和樹の頭を撫でてやる。虎太が文芸部にいたときも撫でてやっていた。

笹山和樹は、なんとなく虎太が目をかけていたやつである。先輩相手でも怯まず自分の正しいと
思ったことを言う和樹を自分にはできないことだと思ったこともあった。だが、和樹の作品を見てい
ると、端々にどこかしら不安定な感じを受けたのであった。それが和樹を目が離せなくしていたの
だが。

「なんだか雰囲気が変わったよなー」

「そうですか?」

虎太が和樹にかまけていると、頬をフグみたいに膨らませて哲哉が睨んでくる。黙っていれば精悍
な顔つきなのに、子どもっぽい行動が台無しにしている。

「俺も先輩に頭撫でてもらいたいっす」

虎太はそんな哲哉に根負けして短い髪をわしゃわしゃとかきまぜてやった。

「これでいいだろう?」

「もっともっと、触ってほしいっす。俺、先輩に全身全霊かけてるっすから」

哲哉は部活にいた頃から虎太に懐いていた。しかし、哲哉の甘えたがりは増していた。これには
虎太もほとほと参っていた。周囲のほうは、大型犬にじゃれつかれている飼い主というような生あ
たたかい目で見られるのが辛い。

立山にいたっては、哲哉の担任も兼ねているせいなのか、むしろ応援されてしまった。「酒井のこと
よろしく頼む。ちょっと厳しいが愛の力があれば、お前の大学に入れるだろ」などと、無情な受験のし
わ寄せを虎太におしつけていた。

もしかして、酒井の受験に対するやる気まで引き出さなきゃいけないのだろうかと青くなった。哲哉
を無下に扱って、意気消沈でもされてしまってはバイトの職を失ってしまうのではないのかと、馬鹿
馬鹿しい悩みを虎太は抱いていた。

この考えを持つことによって、虎太と哲哉はかなり親しげな様子を見せていた。文芸部の一部の
不埒なお方たちは、哲哉×虎太本をこっそりと作るなどしていた。内容が内容なので、ここで引き
合いに出せないが、それはもう濃い作品ができあがっていた。

一般的な文芸部員の方も、だんだんと哲哉の行動に毒されて虎太への行為を普通のことだと認識
するようになった。男子大学生と男子高校生が昼の日中からじゃれついているのが普通に見える
のが、うっとうしくないと思われるのは概して二人の人徳のおかげだろうか。

校内新聞でも「気さくな文芸部の指導員さん」と紹介されるなどと、虎太は学生からも受け入れら
れた。教職員の方からも優等生で通っていた虎太を悪く思う人間もいなかったために、バイト環境
はなかなか恵まれているものであった。






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