より子先生と再会した次の日、哲哉がいつものように虎太にすり寄ってきた。
しかし、虎太はなんだか気まずくて、和樹のうしろに隠れてしまった。哲哉が懐
いてくるのもいつものことなのに、なぜだか気後れしてしまう。

 盾にされた和樹は、睨みをきかせてくる哲哉に対抗して、虎太をかばった。

 「酒井先輩、なにしたんですか? 板野先輩、隠れたがってますけど」

 「先輩、俺、なにもしてないっすよね?」

 「うん、俺がちょっと勝手に気後れしているだけなんだけど」

 痴話喧嘩ですか、と和樹はあっさりと虎太を哲哉にさしだした。

 「あー、板野先輩、これはたぶん先輩の問題ですから、きっちり引導渡してやっ
てくださいね」

 にっこりと和樹は笑う。そして、続けて言う。

 「他人事に口をはさむなんて下品ですが、酒井先輩もいい加減、腹くくったらいい
と思いますよ。ヘタれすぎです」

 「ほっとけよ。それよりも、先輩、ちょっと来てほしいんっすけど」

 「てか、今、俺、仕事中なんだけど……」

 もごもごと虎太が反論しようとすると、和樹がとどめをさした。

 「ああ、それでしたら、みんなにうまく言っておきますから心おきなく連れてい
かれてください」

 「悪いな、笹山」

 貸し一つということでと哲哉に笑って、しぶる虎太を和樹は部室から追い出した。

 虎太の手を引っ張って哲哉はずんずん歩いていく。時間は放課後で、生徒たち
はめいめい部活に行ったり、家に帰ったりとして閑散としている。それでも、男同
士で手をつないで、人が通るかもしれない廊下を歩いていくことが気恥ずかしかっ
た。哲哉はなんとも思っていないのだろうかと思う。

 少し硬い表情をしている哲哉の顔を見ていると、哲哉から昨日逃げ出したことに
ついて罪悪感を覚える。その上、幼稚園のことだとしても、哲哉のことをまったく記憶
になかったことが辛い。哲哉は笑って流してくれたが、ショックを受けただろう。自分
の存在が他人の中から抹消されていたら、虎太だって悲しい。

 「ここっす」

 「屋上って、立ち入り禁止なんじゃ……」

 完全に逃れない場所だったので、虎太はドアのところに掲げてある立ち入り禁止の
貼り紙を指す。

 「先輩が学校にいたときは屋上で昼メシとか食べてたじゃないっすか。よく言うっすよ」

 「でも、ほら……そう、俺、雇われ人だし?」

 苦し紛れに虎太は言う。

 「バレなきゃ誰も文句言いませんって。それに先生たちだって、本気で禁止するなら
鍵をつけて出入りできないようにするっすよ。さ、観念するっす」

 哲哉にぐいぐいと背中を押されて、虎太は屋上に入る。久しぶりに来た場所は、在学
中と変わらず空に近くて気持ちのいい場所だった。少し冬の風が身にしみるのが玉にきず
だが、時期的に仕方のないことなのだろう。吐く息が白い。

 「こんなとこで何の用だよ」

 「先輩、俺の気持ちに気づいているっすか?」

 「ああ、昨日は悪かったな。ちょっと逃げるようにして帰っちまって」

 虎太は、うつむきながら答える。

 「俺、先輩のことが……」

 哲哉が真剣な顔をして言おうとすることを虎太がかぶせるように言った。

 「それは気の迷いだ、酒井。たまたま、俺が傍にいて友情を恋愛と勘違いしただけ
のものだ」

 虎太だって人並みの感性をしているから、哲哉の時々する切ない目や優しい空気に
気づいていた。だからといって、残酷なことをしていると分かりつつも、知らぬふりを通し
てきたのだ。哲哉が胸のうちに秘めているのだから、先回りしてわざわざ地雷を踏まなく
てもいいと考えていた。純粋に好意をぶつけてくれる相手を虎太は無下にはできなかった。

 「勝手に俺の感情を嘘にしないでほしいっす。俺のことちゃんと見てほしいっす」

 「ほら、見ているじゃないか?」

 「目をそらしたまま言わないで……」

 哲哉は虎太の肩をつかんで言う。必死にこちらをふり向かせようとする哲哉の手が
痛かった。

 「じゃあ、俺がお前の告白を受け入れた後、どうするんだよ」

 「お互いにヨボヨボになるまで一緒に生きたいっす。それだけじゃ、ダメっすか?」

 しぼりだすかのように哲哉は虎太の問いに答える。

 「いつだって先輩のこと考えてしまうっすよ。テストのときだって、創作指導してもらって
いるときだって、夢の中だって。先輩が俺のすべてなんっすよ。」

 虎太は黙って首をふる。どうして、こいつの気持ちに応えることができないのだろう? 
自分も相手も傷ついて傷つけてしまうことはないじゃないか。虎太はちらりと心の中に
その考えがよぎるが、それこそ残酷なことだろう。同情だけで付き合うのは許されない
ことだ。第一、傷つきたくないからというのが身勝手すぎる。

 悪友が言った言葉も頭の外から追い出す。同性同士の気楽さから、好意を持ってい
てくれているからと、安易な気持ちで哲哉の真剣な思いに応えることなどできはしない。
それに、世間という高いハードルが虎太を阻むだろう。

 「先輩、俺じゃ、ダメっすか。先輩の傍にいさせてほしいっす。先輩の一番になりた
いんっす」

 哲哉の大きい体が崩れ落ちる。

 「お前もいつかもっと大事な人ができるさ」

 虎太は立ったまま、月並みの台詞を吐いた。

 「先輩だけっす。過去も、未来も、現在も。もっと、ずっと、触れていたいと思うのは」

 わあわあ哲哉は小さい子どものように喚く。

 「犬でも、わんこでもいいっす。先輩の隣にいたいんっす。みっともなくたって、なん
だって。俺、頭、悪いっすけど、恋愛も友情もごっちゃになんかしないっすよ。一番大切
なのは、先輩なんだから」

 「……わりぃ」

 哲哉が顔をあげて虎太の顔を見つめた。

 「ほんとに悪ぃ。ムリだ」

 それだけを口にすると、その場から虎太は駆け出した。昨日、逃げ出したように。






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