ひとりで部室に戻ってきた虎太をいぶかしげに見た和樹だったが、すぐに
自分の作業に戻ったようだった。和樹に詳しいことを聞かれるのではないかと、
びくびくしていた虎太は助かったと思った。最初のうちはそう考える余裕もあっ
たが、生徒たちを指導していると次第に忘れていった。
バイトが終わり、まっすぐ帰るだけだと思っていたら、携帯に呼び出しメールが
入っていた。悪友の若林優からのものだった。断ると、会ったときに絡まれるのも
嫌だから、つい行くと虎太は返信してしまった。ひとりで今日の出来事を思い返さ
ずに済むとも思ったからだが。
意外と電車がつかまらなくて、約束の時間ぴったりに店についた。店内は少し照
明を落としていて、虎太がきょろきょろと優を探していると、向こうが声をかけてくれた。
「よお、遅いじゃないか?」
「時間通りに来てぞ」
「五分前行動が基本じゃないか」
優はぬけぬけと普段まったくしていないことを当然のことのように言う。虎太は心
のなかで、「五分後行動が基本のくせして自分が速く来たときは別のことを言うん
だな」と文句をつけた。
「若林、人を呼び出したりして、なんの用なんだよ?」
「この人肌が恋しくなる季節に、わざわざ呼んでもらっただけでも感謝しろよ。なに
せ俺は常にいろんなところから声がかかってるんだぜ」
優は椅子にそっくり返りながら言い放つ。虎太はくるりと踵を返した。妄言には付き
合っていられない。
「ま、待て。どうしたんだよ、えらく余裕がないじゃないか」
「ほっとけよ」
虎太は不機嫌さを隠さなかった。すると、優はにまにまとにやける。
「もしかして、酒井に告白でもされたか?」
顔がこわばるのを虎太は止めることができなかった。優はヒューと口笛を吹くまねをした。
「ビンゴかよ。俺って、天才。ま、座ってカルーアミルクでも注文しろよ。ちょっと優等
生くんに恋のイロハでも教えてあげようかね?」
虎太は憮然として椅子には座ったが、代わりにクランベリージュースを注文した。
「いらねー。てか、俺、断ったから」
「なんで?」
心底不思議そうな顔をして優はきいてくる。
「だって、……男同士じゃん。進みようがねーよ」
優は虎太の言葉をきいて大いに笑った。
「なんで、笑うんだよ? 俺、真剣に話してるのに」
「相変わらず枠が小さいな、お前は。そんなんだから、あの陰険な教授にも『キミの
作品はとても小さくまとまっていますね。だが、それだけだ』なんて言われるんだよ。
誰が作ったのかさえ分からない規範に縛られずに、自分の規範に従っていきれば
いいのによう」
「人の生き方なんてほっといてくれよ。いきなり想像妊娠のゲイの話を陰険教授に
提出する度胸なんて俺にはないからな」
虎太は小さく反駁する。だが、優は歯牙にもかけなかった。
「安全も、絶対も、神様だって保障されていない世の中を泳いでいくのに、おまじない
を抱えて生きたってつまらないと思うけどね。まあ、その臆病さがたまらなく愛しいとも
感じるやつがいるんだろうねえ。俺とか、俺とか、俺とか?」
「お前しかいないんだったら、俺も終わってるな」
おどけて言う優の言葉に虎太は笑う。
「てか、酒井、俺がもらってもいい?」
話が哲哉のことになると、どうしても虎太の舌はうまく動かなくなる。
「どうして、あいつの名前が出てくるんだよ……」
「虎太一直線な純情ボーイを落とすのも、恋の狩人としては面白そうだなと思って。
友人の恋人とるって、結構酷いけど、許可とったら大丈夫っしょ?」
「あいつと俺は関係ない。ただの先輩と後輩だ」
虎太の声は硬い。
「高校生男子なんて世間的にマズいだろう?」
「そりゃ女子高生はロリって言われるかも知んないけど、男子相手にショタなんて
言われないっしょ? ウブで純情な年下の男を俺の色に染め上げるというのは、
かなり燃える設定だろ」
うきうきと優は語る。そんな優とは対照的に、悩ましげな表情を虎太はする。
「やめろよ、そんなことするのは」
「どうして、そんなに気にするんだよ? ただの先輩と後輩なんだろ? だったら、
人のことなんて放っておけばいいじゃないか? もしかして、やっぱり酒井のことが
好きとか?」
「……そんなはずはない」
弱々しく虎太は頭をふって答えた。
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